ザクロの効能、飲み時の注意点をご案内します。
社会というのは一つのくくりの現実的な形の表れで、そこには必ず方向性があります。
方向性が違う場合は社会という形は存在をなさなくなると思います。
多様性を含んだ社会というのは同一の方向性を持った細かい複数の社会の集合社会で、その個々の方向性は大きな方向性に影響を与えないということになります。
たとえて言えば、サッカーと野球はそれぞれ独自のルールがあるので一緒にプレーすることはありえませんが、それぞれのチームが集まった組織をスポーツ振興団体とかの同じ組織社会の中に組み込むことができる、そのような認識をしてもらえればわかりやすいかと思います。
そこで学校というのは一つの細かい社会であると考えてみてください。
現代ではその社会は大きく、子供社会のすべてをおおっているように思えます。
もしも本当にそれが社会のすべてであったら、不登校となって、そこに参加できなければ、人間社会からの脱落を意味します。
でも自分はそうではないと思います。
人間社会はもっと大きなもので、学校社会はそのうちの一部でしかないのだと。
その社会に参加しない人生もありえなくはないのだと。
その視点に立ってみると、不登校に対しては違ったアプローチができるのではないでしょうか?子供時代は世界に対する知識が偏りがちです。
その偏った知識の中だけで判断しようとしてしまいます。
その子供の周りの環境がその知識の偏りを正してあげる必要があると思うのです。
そして、どの社会に参加するのかを本人が選べるのだということを。
学校社会に参加することによる意義、参加しないことによる意義。
どちらも、本人にとって、大事な人生になるのです。
現代の多くの人は学校社会に参加しない人生の経験はないので難しいかもしれませんが、本人の人格を最優先に考えるような環境が教育社会に整って欲しいと個人的に思います。